物質のルミネセンスと紫外線とを自然科学の言葉で結びつけたのは、英国のジョージーストークスが最初である。「ルミネセンス」という言葉もストークスによってつくられたのだが、一連の実験を行なって、彼は「ストークスの法則」(1852年)を発見した。ストークスは多方面に興味をもった科学者なので、彼の名前がつけられた「ストークスの法則」は二つある。一つは、粘り気のある気体や液体のなかを球形の物体が移動するときに受ける抵抗力に関する法則である。もう一つは、物質からの蛍光に関するもので、「物質に当てる光の波長は、物質から蛍光として発生する波長よりも短くなければならない」というものである。たとえば赤い光が蛍光として出てくるためには、当てる光は赤い光よりも波長の短い青とか、さらには紫外線でなければならないし、赤い光で青い光は発生しないのである。この話は、すでにゲーテが観察している現象ではあるが、ストークスはゲーテのように観察にとどまらず、自然科学の言葉で、この現象を法則化したと言えよう。光のエネルギーは波長によって決まり、波長の逆数に比例する。青い光(波長460ナノメートル)は赤い光(波長770ナノメートル)の1・67倍もエネルギーが大きい。「ストークスの法則」は、エネルギーの保存則(エネルギーが物体から物体に移動したり、反応などによって形態が変わっても、エネルギーの総体は変わらないとする法則。あらゆる自然現象を支配する基礎法則の一つである)を考えてみれば、至極当たり前なことを言っている。エネルギーの小さい赤い光によって、エネルギーの大きい青い光をつくりだすことはできない、というのだが、これはルミネセンスの基本法則である。電気を用いる放電現象と蛍光現象とを最初に結びつけたのは、1859年のフランスのアレクサンドルーペクレルの実験である。ベクレル一家は著名な学者を輩出した家系だが、このベクレルは、自然放射能の発見によって1903年にマリー・キュリーとともにノーベル賞を受賞した、アンリーペクレルの父親である。当時、父ベクレルは蛍光現象を研究していて、ガラス管の両端に金属電極を設けた「ガイスラー管」に入れた蛍光体を発光させる実験を行なっていた。ガイスラー管とはドイツのボン大学の物理学者にして数学者のユリウスープリュッカーがボンの理化学機器職人のガイスラーにつくらせたもので、彼の名前をとって名づけられた。